平凡

もう私は大した欲もない。どうか伜が中学を卒業するまで首尾よく役所を勤めて居たい、そこまでに小金の少しも貯めて、いつ何時わたしにどんな事が有っても、妻子が路頭に迷わぬほどにして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だおぼつかないので心細い…

が、考えると、昔はこうではなかった。人並みに血気は壮だったから、我より先に生まれた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆ジメジメと所帯染みて終わうのを見て、意気地の無い奴などだ。そんな平凡な生活をするくらいなら、いっそ首でもくくって死んじまえ、などと蔭では嘲ったものだったが、嘲っているうちに、自分もいつしか所帯染みて、人に嘲られる身の上になって終わった。

こうなってみると、浮世は夢の如しとはよく言ったものだとつくつく思う。なるほど人の一生は夢で、しかも夢中に夢とは思わない、覚めて後その気が付く。気が付いたときには、夢はもう我を去って、千里万里を相隔てている。もうどうすることもできぬ。

もう十年早く気がついたらとは誰しも思うところだろうが、みなはんで押したように、十年遅れて気が付く。人生はこうしたものだから、今私どもを笑う青年たちも、軈ては矢っ張り同じ様に、のちの青年たち笑われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる…

あッ、ハッ、は！…いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈老込んだに違いない。

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