巫山神女

巫峡十二峰の中で、一番麗しい峰は神女峰で、高さが八百六十メートルです。遠くから見ると、ほっそりとした少女が長江の波濤を見下ろしているかのようです。伝説によりますと、巫山神女は、炎帝の二番目の娘で瑤姫という名前で、いよいよ結婚しようとする年頃になって、不幸にも夭折して神女峰に化したということです。また、巫山神女は西王母の末娘で若死にしたという伝説もあります。

瑤姫の姉は仙術を修めるために、仙人の赤松子に従って遠いところへ行きました。妹の女娃は東海で台風に遭って溺れて死にました。女娃は精衛という鳥に化しました。両親は時々いい縁談を持ち込んで、瑤姫を早く結婚させようとします。彼女は寂しい毎日を送っていて結婚の幸せに憧れていますが、両親と離れたくないので、随分苦悩して迷っていましたが、結婚する前に、ついに思い病気に掛かってなくなってしまいました。瑤姫の霊魂は瑤草という芳しい草に化しました。瑤草は一年中、美しい黄色い花を咲かせます。長年の歳月が立ちました。瑤草はついに美しし少女になりました。生まれ変わった瑤姫は、以前と同じように強い情熱と愛の持ち主でしたので、なかなかふさわしいお婿さんを見つけることができませんでした。

大昔から巫山神女は朝には、霞となって巫峡にたなびき、夕暮れにに小雨となって自分の哀愁を山と川に散らします。

楚の懐王は、紀元前三世紀ごろの楚の国の君主です。彼は雲夢沢という大きな湖へ遊びに行ったことがありましたが、疲れのあまり高唐離宮で昼寝をしてしまいました。その時、次のような夢を見ました。夢の中で美しい巫山の神女が、会いに来ました。別れるとき、神女は「私は、巫山の神女が、会いに来ました。楚の王様がここにいらっしゃったことを知って、枕と筵を用意してあげようと思ってまいりました」と言いました。すると、楚の懐王は神女と雲雨の愛を結びました。楚の懐王は、目が覚めたあと、夢だと分かってしばらくがっかりしていました。その後、楚の懐王の息子、楚の襄王も父親の話を聞いて、自分も巫山の神女に会いたいと思い、雲夢沢へ旅行に行きました。夜、彼が高唐離宮で寝ていると、果たして楚の懐王と同じ夢を見ました。襄王は宮廷に仕えている文学者宋玉に、この不思議な出来事を話しました。宋玉は、楚の懐王と襄王の夢に基づいて『高唐賦』と『神女賦』を書きました。

隷書体は個性的な書体です。印鑑 セット独特の筆遣いで、文字の一部が大きくはねるのが特徴です。個人認印作成堂々としていて、読みやすい書体ですが、印鑑にであまり一般的ではありません。看板や表札にはよく用いられています。